奈良時代 時代

東大寺の大仏!初めてのお金による貨幣流通!
奈良時代について知ろう!

奈良時代を知ろう

奈良時代を知ろう

ここで学ぶのは奈良時代についてです。
奈良時代と聞くと、「奈良の大仏」のことが思い浮かぶ人も多いでしょう。奈良時代の代表的なものの1つですね。

もちろん奈良時代はそれだけではありません。奈良時代は701年に制定された「大宝律令」に基づいた国づくりが進められた時代です。つまり「律令国家」ということです。

更に「和同開珎」というお金も出てきました。日本の本格的なお金の流通の始まりです。

これだけでも大きな変化が起きた時代だと想像が出来ますね。ここからは奈良時代について更に学んでいきましょう!

奈良時代を知ろう!

それでは「奈良時代」について、しっかりと理解していきましょう。
奈良時代は色々なことがあった時代です。今の日本のように法治国家体制である「律令国家」の始まりともいえます。そこから始まる奈良時代について、これからいろいろと学んでいきましょう!

奈良時代を知ろう!

  • 奈良時代の大まかな流れ
  • 奈良時代の特徴
  • 奈良時代の環境
  • 奈良時代の人々の暮らし

それでは早速、「奈良時代」を学んでいきましょう!

奈良時代の大まかな流れ!

奈良時代の大まかな流れ

奈良時代の大まかな流れ

奈良時代の流れを簡単な年表に表してみました。奈良時代は、都を平城京に遷してから、794年に平安京に都を遷すまでの約85年間を言います。それでは奈良時代の特徴を学んでいきましょう!

奈良時代の特徴!

東大寺の中門

東大寺の中門

奈良時代は646年の大化改新の頃から目指されていた律令制が、701年に制定された大宝律令(刑部親王、藤原不比等によって制定)によって確立され、天皇を中心とした中央集権体制の律令国家が本格的に始まった時代でもあります。つまり日本国家を形成した時代です。

710年に文武天皇の母である元明天皇(女帝)が飛鳥の藤原京から平城京へ遷都したときから奈良時代が始まりました。平城京は、中国の唐の都である長安をモデルに建てられたと言われています。碁盤のようにきれいに区画されており、約10万人くらいが暮らしていたと言われています。

都には「二官八省」という組織が作られていました。

二官・・・祭祀を司る神祇官と政治を司る太政官

八省・・・太政官の下にある組織で、宮内省、大蔵省、刑部省、兵部省、民部省、治部省、式部省、中務省

地方についても、国、郡、里を定めて国を統括する国司を都から派遣して整備を行いました。

平城京の朱雀門

平城京の朱雀門

また、徴税の制度が整理されていったのもこの時代の特徴です。「班田収授法」という仕組みが作られ税を納めていました。この税の中には「祖=稲・庸=布・調=特産品」というものを収めるものもありました。

そして奈良時代と聞くと、思い出されれるのは「奈良の大仏」でしょう。この大仏が象徴するように、多くの寺院が建立され(南都七大寺)、南都6宗と呼ばれる仏教学派が生まれた、仏教色の強い時代でもありました。

歴代の天皇の血を受け継ぐ皇族たちが強い力をもっていたのが天皇主権の平城京、つまり奈良時代の始まりでした。その中で、「藤原不比等(ふじわらふひと)」という人物の登場が大きな変化をもたらします。藤原不比等は政治に大きな影響力を持つようになりました。

そして藤原不比等の次の世代になると、皇族と藤原氏の2つの勢力が対立するようになってきます。この対立はやがて、長屋王を自害に追い込んだ藤原四兄弟(藤原不比等の4人の息子)の勝利という結末を迎えて、藤原氏は更に力を持つようになります。

実験を握ったはずの藤原氏でしたが、ここで大きな出来事が起こります。それは平城京で起きた「天然痘の大流行」です。この天然痘の大流行によって藤原四兄弟は亡くなってしまいます。そこで登場するのが、橘諸兄(たちばなのもろえ)です。橘諸兄は朝廷の最高官位に抜擢されます。橘諸兄の政権が始まるわけですが、その後も落ち着きはありません。

藤原広嗣の乱が勃発します。藤原広嗣は藤原四兄弟のうちの藤原宇合の息子であり、太宰府に左遷されていました。しかし、朝廷の人間の登用について不満を持っており、740年に反乱を起こします。その後奈良時代では混乱していきます。

  • 741年 聖武天皇は都を恭仁京へ遷す
  • 744年 聖武天皇は都を難波宮へ遷す
  • 745年 聖武天皇は紫香楽宮へ都を遷す
  • 745年 聖武天皇は遷都を諦め平城京へ戻る
  • 749年 聖武天皇崩御

このように都を遷すことをこれだけ短い期間に行うなど、迷走した聖武天皇の政権の時代に立てられた奈良の大仏、その大仏を建てるの活躍したのが行基です。この当時の仏教を知るためには、この行基は欠かせない人物です。

聖武天皇崩御の後も混乱が収まらなかった奈良時代。不安定な政権の中で次に政界の中で力を持ち始めたのが「藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)」です。彼は、藤原四兄弟の長男である、藤原の武智麻呂の息子です。そしてこの藤原仲麻呂は独裁的な政治をしていきます。

この時に、孝謙上皇に可愛がられていた「道鏡」という僧侶が政治に深く関与するようになります。そうなってくるとこの孝謙上皇と道鏡にとって邪魔な存在となってくるのが、独裁的な政治をしている藤原仲麻呂ですね。そして764年に藤原仲麻呂が反乱を起こしますが、それに敗北します。その後765年に孝謙上皇が、称徳天皇として再び即位することになります。

藤原仲麻呂がいなくなると、次に独裁的な政治を始めたのが道鏡でした。この道鏡の政治は、私利私欲と言われるような政治で、とてもいい政治と言えるものではありませんでした。最終的に道鏡は自分が自ら天皇になろうともくろみますが、さすがにそれは叶わなかったようです。

やがて道鏡が力を失い、称徳天皇の崩御もあり、次に天皇に即位したのが、光仁天皇です。光仁天皇は天武天皇の娘である井上内親王を妃としており、二人の子供を即位させて天武天皇の血を再び天皇へと復活させるというたくらみがありました。しかし、このたくらみは実現することはありませんでした。

そして天皇の即位したのが、天智天皇の血を引く桓武天皇でした。そして764年に平安京へと遷都することで時代は平安時代へと移っていきます。

ここで奈良時代に天皇となった人物たちを改めて並べてみましょう!

  • 元明天皇
  • 元正天皇
  • 聖武天皇
  • 孝謙天皇
  • 淳仁天皇
  • 称徳天皇(孝謙天皇が再び即位した)
  • 光仁天皇
  • 桓武天皇(平安京に遷都)

こう見ると結構な天皇がこの奈良時代の85年間に変わっているのが分かりますね。

奈良時代の全体を簡単に分けてみてみると

  • 奈良時代前期
    奈良時代の前期は、皇族を中心とした政治で長屋王の変(729年)までの期間。
  • 奈良時代中期
    奈良時代の中期は、皇族と対立していた藤原不比等の息子たち、藤原四兄弟が力を持っていた時で、藤原仲麻呂が失脚するまでの期間。
  • 奈良時代後期
    奈良時代の後期は、称徳天皇、僧侶である道鏡が政治の実権を握っていた期間

このように分けることが出来ます。

律令国家の始まりでもあり、律令国家が動揺した時代でもあります。

奈良時代の文化!

この奈良時代に栄えたのは、「天平文化」といわれる文化でした。この天平文化は中国の唐の文化、その他にも西アジアや南アジアの影響を受けたもので貴族を中心とした華やかな文化でした。

天平文化の特徴

古事記

古事記

奈良時代に栄えた「天平文化」は中国の唐の文化の影響を強く受けています。

特に聖武天皇の時代には天然痘の流行などもあり、世の中が不安定な状態でした。そこで国を安定させようとして仏教は保護されて発展していくのです。奈良時代の天平文化で仏教の色が強い象徴として挙げられるのが、聖武天皇の発願で建てられた東大寺の大仏(752年)です。そのほかにも南都七大寺と呼ばれるれ薬師寺、大安寺、元興寺(飛鳥寺)、興福寺、東大寺、西大寺、法隆寺などが建立されました。

書物としては日本最古の歴史書として知られている「古事記(712年)」や「日本書紀(720年)」が完成しています。

そして日本最古の和歌集として知られながら現代でも通じる作品「万葉集」も奈良時代に完成しています。

奈良時代の人々の暮らし!

奈良時代の人々の暮らしは一体どんなものだったのかについて詳しく見ていきましょう!

住居!

身分の違いに応じて国から宅地を支給されていました。身分が高い人は庶民とは比べ物にならないくらいの規模で、唐の影響を受けた赤い柱に白い壁、屋根は瓦の屋敷に暮らしていました。そして「庭園」と呼ばれる庭が出来るようになり、身分の高い貴族たちは、庭を楽しみながら優雅に暮らしていました。

一方一般の農民などは、。奈良時代になっても、縄文時代から続く竪穴住居で暮らしていました。しかし構造的には縄文時代のものとはかなり違いがありました。中には調理施設である「カマド」が作られていました。

食べ物!

食べ物は、ナス、れんこん、大根などの根菜類。鹿、鴨などの肉類、鮭、アワビなどの魚介類、さらに海藻類でわかめなどを煮たり焼いたりして食べていました。塩や酢、味噌などで味付けをして調理して食べていました。しかし、これはあくまでも身分の高い人たちの食事であり、庶民には塩や酢、味噌などは手に入りませんでした。

庶民は簡素な一汁一菜で主食は玄米や雑穀、調味料として使っていたのはあくまでも塩でした。

服装!

奈良時代の服装

奈良時代の服装

奈良時代の服装は、身分が高い人たちについては、律令に基づく明確な「衣服令」が定められたことで、礼服(らいぶく)、朝服(ちょうぶく)、制服(せいぶく)の3種類に分かれており、服の色などで着ている人の地位が分かるようになっていました。これも唐に影響されたものです。

弥生時代の頃から飛鳥時代に向けて、人々の身分の差はより大きくなっているように感じます。

奈良時代のまとめ

ここまで奈良時代について簡単に紹介してきました。最後に奈良時代についておさらいしながらまとめていきましょう。

奈良時代は、天皇を中心とした中央集権体制の律令国家が実施され始めた時代です。しかし、天皇とそれ以外との勢力間での争いごと、政権争いが激しく、反乱がおこっていたこともうかがえます。さらに天然痘が流行ったことで、国は不安定な状態になっていたという印象が強い時代です。

遷都が頻繁に行われ、天皇も入れ替わりが激しく、世の中は混乱していました。

そんな国を守るために仏教が保護され大切にされたことで大きく普及しました。その象徴として東大寺の大仏や多くの寺院が建立されています。現在でもそれらは残っており、観光地としてにぎわっています。

奈良時代を簡単にまとめると

  • 律令国家の始まり(大宝律令から)
  • 政権を争う争いごとが多く、不安定な時代
  • 仏教が大切にされた(東大寺の大仏や多くの寺院建立)
  • 古事記、日本書紀の完成

などが大きな特徴だと言えます。

奈良時代に関する気になる言葉!

和同開珎 万葉集 古事記 日本書紀
天平文化 藤原不比等 聖武天皇 東大寺の大仏
藤原仲麻呂 長屋王の変 天然痘 鑑真
日本史大好き

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