古墳時代 時代

前方後円墳など権力の象徴となった古墳が登場!
古墳時代について知ろう!

古墳時代を知ろう!

古墳時代を知ろう!

ここで学ぶのは古墳時代です。古墳時代は弥生時代に続く時代です。簡単にこの時代を紹介しますと、その名の通り古墳だ盛んに作られた時代です。それでは早速古墳時代について学んでいきましょう!

古墳時代を知ろう!

それでは「古墳時代」について、しっかりと理解していきましょう。
先程も書きましたが、古墳時代の最大の特徴は、その名の通り「古墳」が多く作られた時代のことを言います。

古墳時代を知ろう!

  • 古墳時代の大まかな流れ
  • 古墳時代の特徴
  • 古墳時代の環境
  • 古墳時代の人々の暮らし

それでは早速、「古墳時代」を学んでいきましょう!

古墳時代の大まかな流れ!

古墳時代の大まかな流れ

古墳時代の大まかな流れ

古墳時代の流れを簡単な年表に表してみました。4世紀の前半頃に、前方後円墳のような大きな古墳が作られていることが分かります。その後は外国へ使者を送り、交流が盛んに行われていたことが分かります。

古墳時代の特徴!

古墳時代の特徴

古墳時代の特徴

古墳時代の特徴としては、先ほどから何度も書いていますが、やはり「古墳」が多く作られたことでしょう。では一体どうして古墳が作られるようになったのでしょうか。

まずは古墳とは一体何なのかを知った方がいいでしょう。

古墳とは

古墳とは、土を盛り上げた墳丘をもつお墓のことをいいます。つまり古代のお墓ということです。どんな人がこの古墳と言われるお墓に埋葬されたのか、それはその当時に身分が高かった人たちが埋葬されました。つまり権力の象徴としても使われたのです。

古墳は身分が高い人のお墓ということが分かりました。そしてこの古墳時代に多くの古墳が作られたということは、人々の間に身分の差が多くみられるようになったということです。そして古墳が作られるようになったことには、大和朝廷が国土統一を進めたことも関係しています。国土統一を進めていくと徐々にその勢力が日本全国に広がることになりました。

その結果、日本各地で古墳が作られるようになったのです。そして古墳には副葬品として武器や装身具、呪具など、色々なものが入れられました。その代表的なものが「埴輪」です。埴輪とは粘土を焼いて作られた土製品で、当時もっとも多く見られたのは「円筒埴輪」です。

円筒埴輪

円筒埴輪

この埴輪は、大型の前方後円墳などに並べられていました。色々な形のものも出土しており、副葬品やこの埴輪の特徴などをみることで、おおよそどの時期に古墳が作られたのかを推定することが出来ます。

古墳時代の古墳について、もっと詳しく知りたい方はコチラを参照してください。

古墳時代の環境!

古墳時代の環境については、実はあまり細かくまとめられていません。その理由としていえるのは、前後の時代とさほど変化がなかったからではないかと考えられます。大まかにいうと4世紀(古墳時代)は比較的温暖な気候であったとされています。古墳時代の後期には寒冷期があったようですが、弥生時代の時の寒冷期ほどではなかったようです。

この時代の細かい気候や環境の変化をとらえるためには、まだまだ根拠となる多くの情報を知る必要があります。

古墳時代の人々の暮らし!

次は古墳時代の人々の暮らしについてみていきましょう!今とは全く違う環境の中、そこで生きていた人々、我々の先祖の人たちは一体どんな暮らしをして、生き抜いていたのでしょうか。今では想像もできないようなその生活の様子を見ていきましょう!

住居!

竪穴式住居

竪穴式住居

古墳時代の人たちも、弥生時代の人たちと同じように竪穴住居に暮らしていたことが分かっています。そして地面にそのまま柱をたてて屋根をかけた平地式住居なども見られるようになっていました。

そして先ほど書きましたが、この時代は身分の差が大きくなってきて、古墳を作るようになっていました。前方後円墳などに埋葬されるような身分の高い人たち、豪族たちは、豪族居館とよばれる館にすんでいました。

豪族居館は、堀や土塁、柵などがあり、正方形や長方形の形のものがありました。豪族居館と呼ばれる敷地内は柵などで仕切られ、住居や倉庫などきちんと区画が分けられていました。

食べ物!

弥生時代に始まった稲作、コメ作りのための水田が、古墳時代になると更に大きくなりました。主食がお米に移り、生活が安定して、米を貯蔵することも出来るようになりました。

それに加えて、木の実を採って食べることは続いていました。倉庫に長く保管して食べていたので、木の実などはまだまだ貴重な食糧でした。縄文時代などに比べると漁業や狩りをする機会は減ってきましたが、なくなったわけではありません。

それ以外にも加工食品を食べるようになっています。味噌や醤油、漬物なども作られて食べていたとされています。徐々に現代の人が食べている物に近付いているのが分かります。

服装!

古墳時代の服装

古墳時代の服装

古墳時代では男性は「衣褲(きぬはかま)姿」で、女性は「衣裳(きぬも)姿」という服装をしていました。日常服として来ていましたが、この服装は比較的身分が高い人々が着ていました。

男女とも首飾りをしたり、女性では紅花などでメイクをしていたとされており、身分の高い女性は装飾品も豪華になっていました。見た感じでもかなりお洒落になってきているのが分かります。

古墳時代のまとめ

ここまで古墳時代について簡単に紹介してきました。最後に古墳時代についてまとめてみましょう。

古墳時代はその名の通り「古墳」が多く作られた時代です。前方後円墳のような大きな古墳には、その当時に身分が高かった人たちのお墓として作られていました。このことからも人々の間で身分の差がはっきりとしていたことが分かります。

古墳時代の他の特徴としては、年表を見ても分かるように、古墳時代の後半は大和政権は朝鮮半島に進出していきます。当時の朝鮮半島では、「高句麗(こうくり)」、「百済(くだら)」、「新羅(しらぎ)」の三国がありました。

大和政権は百済と同盟を結び、高句麗とは対抗していました。百済との結びつきは強かったと言えます。百済からは色々なものを贈られています。どうして大和政権が中国との関係を築いて、朝鮮半島と交流を深めたのか、それは鉄や先進的な技術を取り入れて、国内での権力を強めようと考えていたのではないかと考えられています。

このように、権力というものが支配する状態がどんどん強くなっていっていると感じられます。古墳の存在や武力や権力を維持するという力の誇示が重く見られるようになっています。

古墳時代に関する気になる言葉!

  • 古墳
  • 前方後円墳
  • 埴輪
  • 衣褲(きぬはかま)姿
  • 衣裳(きぬも)姿
  • 高句麗
  • 百済
  • 新羅
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