前方後円墳など権力の象徴となった古墳が登場!
日本という国の夜明け
古墳時代について知ろう!

古墳時代を知ろう

古墳時代を知ろう

  1. 巨大な「前方後円墳」が語りかける、日本という国の夜明け――古墳時代へようこそ
  2. 古墳時代を知ろう!
    1. 古墳時代の大まかな流れ!:350年の変遷をたどる
      1. 1. 前期(3世紀半ば〜4世紀後半)
      2. 2. 中期(4世紀末〜5世紀)
      3. 3. 後期(6世紀)
      4. 4. 終末期(7世紀)
    2. 古墳時代の特徴!:巨大墳墓が象徴する「国家のはじまり」
      1. 1. 「前方後円墳」は政権への加盟証だった
      2. 2. 「空白の4世紀」と外交・軍事の活発化
      3. 3. 社会を支えた統治システム「氏姓(しせい)制度」
      4. 4. 渡来人がもたらした「古代のイノベーション」
    3. 古墳時代の環境!:大地の形を変えた「大土木時代」の到来
      1. 1. 「大土木時代」の幕開け:平野部の開発
      2. 2. 気候と植生:豊かな森と海
      3. 3. 立地の変化:丘の上から平地へ
      4. 4. 自然の脅威:火山の噴火と地形の変化
    4. 古墳時代の文化:祈りと権威を彩る「古代の美学」
      1. 1. 変化する「古墳の形」と「埋葬のスタイル」
      2. 2. 副葬品が語る「司祭から武人へ」の転換
      3. 3. 古墳の守護者「埴輪(はにわ)」の世界
      4. 4. 土器のイノベーション「土師器(はじき)」と「須恵器(すえき)」
      5. 5. 文字・思想・宗教の到来
    5. 古墳時代の人々の暮らし!:格差の拡大と「古代の生活革命」
      1. 1. 住まいの格差:豪族の「館」と民衆の「かまど」
      2. 2. 古墳時代のファッション:はにわは「古代のカタログ」
      3. 3. 食生活:最新土器でお米を「蒸す」
      4. 4. 専門職集団「部民(べみん)制」と不思議な風習
    6. 古墳時代のポイント!:これだけは抑えたい「5つの鍵」
      1. 1. 前方後円墳の広がり = 「ヤマト政権」の勢力圏
      2. 2. 「大王(おおきみ)」の出現と権力の巨大化
      3. 3. 「空白の4世紀」と朝鮮半島進出の目的
      4. 4. 支配のシステム「氏姓(しせい)制度」の確立
      5. 5. 渡来人と「最新テクノロジー」の導入
    7. 古墳時代のディープな領域 :研究者が注目する「古代の真実」
      1. 1. 骨格が語る「格差」:支配者層は高身長で小顔だった?
      2. 2. 「日本のポンペイ」:榛名山噴火が閉じ込めた6世紀の村
      3. 3. 未曾有の発見!富雄丸山古墳の「盾形銅鏡」と「巨大蛇行剣」
      4. 4. 地域を繋ぐ「水銀朱(しゅ)」と阿波・宇陀のネットワーク
    8. 古墳時代!その時世界では:東アジアの動乱と「倭国」の外交戦略
      1. 1. 中国:三国志の終わりから「南北朝時代」へ
      2. 2. 朝鮮半島:高句麗・百済・新羅の三つ巴
      3. 3. ユーラシア大陸の激動:西ではゲルマン人が大移動
      4. 4. 交流がもたらした「国際都市・日本」
    9. 古墳時代!その時世界では:東アジアの動乱と「倭国」の外交戦略
      1. 1. 中国:三国志の終わりから「南北朝時代」へ
      2. 2. 朝鮮半島:高句麗・百済・新羅の三つ巴
      3. 3. ユーラシア大陸の激動:西ではゲルマン人が大移動
      4. 4. 交流がもたらした「国際都市・日本」
    10. 古墳時代の謎:1600年の眠りが隠す「古代のミステリー」
      1. 1. 卑弥呼の墓はどこに?「邪馬台国」と「箸墓古墳」の謎
      2. 2. 世界最大級の墓「大仙陵古墳」:本当に仁徳天皇の墓なのか?
      3. 3. 歴史から消えた150年間「空白の4世紀」
      4. 4. なぜ「鍵穴」の形?前方後円墳の起源と意味
      5. 5. 最新の衝撃:富雄丸山古墳の「巨大蛇行剣」の目的
    11. 古墳時代のまとめ:ヤマト王権が築いた「日本」の原型
      1. 古墳時代 350年の変遷:時代のうねりをたどる
    12. 古墳時代の勉強のコツ:暗記を減らして「変化の法則」を掴む
      1. 1. 「3つのセット」で時期の違いを攻略する
      2. 2. 朝鮮半島の地図と「鉄」をリンクさせる
      3. 3. 「氏姓制度」を現代の会社に置き換える
      4. 4. 「最新ニュース」をスパイスにする
    13. 古墳時代から次の時代へ:巨大なお墓から「仏の教え」が導く飛鳥の都へ
      1. 1. 時代の分岐点:仏教をめぐる激突「崇仏(すうぶつ)論争」
      2. 2. ヤマト政権から「律令国家」へ:聖徳太子の改革
      3. 3. 古墳の終焉:墓から寺へ、権力のデザインが変わる
      4. 4. 飛鳥時代へ:中央集権国家の完成へ
    14. 古墳時代の最終章:巨大な「鍵穴」が遺した、日本という国の土台
      1. 1. 「統一国家」への情熱:前方後円墳が繋いだ列島
      2. 2. 「対話」と「革新」:海を越えた文明との遭遇
      3. 3. 「祈り」の形が変わる時:古墳から寺院、そして心の深淵へ
      4. 4. 歴史は「現在」と繋がっている
  3. 古墳時代に関する気になる言葉!

巨大な「前方後円墳」が語りかける、日本という国の夜明け――古墳時代へようこそ

前回の「弥生時代」の解説では、稲作が広まり、貧富の差や争いが生まれ、卑弥呼のようなカリスマ的な女王が登場するまでを追いかけてきました。

しかし、西暦3世紀の中頃、日本列島の歴史はさらにダイナミックな変革期へと突入します。
それが「古墳時代」です。

ある日を境に、平野のど真ん中に突如として現れる、山のような巨大なお墓。
鍵穴の形をした「前方後円墳」に代表されるこれらの遺跡は、単なる墓ではありません。

それは、バラバラだった「クニ」が一つにまとまり、「ヤマト王権」という巨大な政治権力が誕生したことを示す、権威のシンボルだったのです。

  • 「なぜ、あれほどまで巨大な建造物を造る必要があったのか?」
  • 「文字による記録が乏しい『空白の4世紀』に、一体何が起きたのか?」

この時代を知ることは、現代まで続く「日本という国の原型」がどのように形作られたのかを知る旅でもあります。
渡来人がもたらした最新技術、大陸との激しい外交、そして権力者たちの野望。

教科書の図説で見たあの巨大な古墳の裏側に隠された、エネルギッシュで謎に満ちた350年間のドラマ。日本史博士である私が、どこよりも深く、そして分かりやすくナビゲートしていきましょう。

さあ、古代日本のミステリーと情熱が詰まった「古墳時代」の世界へ、一歩踏み出してみませんか?

ここで学ぶのは古墳時代です。古墳時代は弥生時代に続く時代です。
簡単にこの時代を紹介しますと、その名の通り古墳だ盛んに作られた時代です。それでは早速古墳時代について学んでいきましょう!

古墳時代を知ろう!

それでは「古墳時代」について、しっかりと理解していきましょう。
先程も書きましたが、古墳時代の最大の特徴は、その名の通り「古墳」が多く作られた時代のことを言います。

古墳時代を知ろう!

  • 古墳時代の大まかな流れ
  • 古墳時代の特徴
  • 古墳時代の環境
  • 古墳時代の文化
  • 古墳時代の人々の暮らし
  • 古墳時代のポイント
  • 古墳時代のディープな領域
  • 古墳時代!その時世界では
  • 古墳時代の謎
  • 古墳時代のまとめ
  • 古墳時代の勉強のコツ
  • 古墳時代から次の時代へ
  • 古墳時代の最終章

それでは早速、「古墳時代」を学んでいきましょう!

古墳時代の大まかな流れ!:350年の変遷をたどる

古墳時代の大まかな流れ

古墳時代の大まかな流れ

古墳時代は、西暦3世紀半ばから7世紀初めまで、およそ350年以上続いた時代です 。

この時代は、巨大な墳丘を持つお墓(古墳)の変化とともに、前期・中期・後期、そして終末期の4つのステージに分けて考えると、その流れが非常にスムーズに理解できます 。

1. 前期(3世紀半ば〜4世紀後半)

ヤマト政権の誕生弥生時代の終わりから3世紀中頃にかけて、近畿地方の大和(奈良県)を中心に「ヤマト政権」と呼ばれる政治的連合が誕生します 。

はじまり:
奈良盆地で日本最古の巨大前方後円墳とされる箸墓(はしはか)古墳が築かれ、これが古墳時代の幕開けとなります 。

特徴:
この時期の古墳は、山や丘などの自然の地形を利用して造られることが多く、埋葬施設は竪穴式石室が主流でした 。

副葬品:
司祭的な性格が強く、大陸から贈られたとされる三角縁神獣鏡などの銅鏡や勾玉(まがたま)が中心です 。

2. 中期(4世紀末〜5世紀)

巨大古墳と軍事力の時代5世紀に入ると、ヤマト政権の支配域は九州から関東まで一気に拡大し、王(大王)の権力はピークに達します 。

中間地点:
大阪平野の百舌鳥・古市古墳群に、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)のような、世界最大級の巨大前方後円墳が平地に次々と築かれました 。

特徴:
支配体制が安定し、大陸(宋など)へ使者を送る「倭の五王」の時代です 。

副葬品:
性格が「武人的」へと変化し、大量の鉄製武器や甲冑、大陸から伝わった馬具などが埋葬されるようになりました 。

3. 後期(6世紀)

古墳の普及と社会の変化6世紀になると、古墳の形や意味合いが大きく変化します 。

特徴:
これまで巨大な前方後円墳は限られた特権階級のものでしたが、地方の有力農民なども小さなお墓を密集して造るようになり、これを群集墳(ぐんしゅうふん)と呼びます 。

石室の変化:
横から出入りできる横穴式石室が普及し、家族で同じお墓に入る「家族墓」の形態に変わっていきました 。

出来事:
九州で起こった磐井(いわい)の乱などを経て、ヤマト政権はより強固な中央集権化を目指すようになります 。

4. 終末期(7世紀)

古墳の終焉と寺院の時代へ7世紀に入ると、あれほど盛んだった前方後円墳の築造はピタリと止まります 。

終わり:
仏教の伝来とともに、権力の象徴が「巨大なお墓(古墳)」から「壮麗な寺院」へと移り変わりました 。

特徴:
天皇の墓は八角墳などの特殊な形になり、やがて薄葬令(お墓を簡素にするきまり)によって、古墳時代はその役目を終えることになります 。

古墳時代の特徴!:巨大墳墓が象徴する「国家のはじまり」

古墳時代の特徴

古墳時代の特徴

古墳時代を象徴する最大の特徴は、「ヤマト政権による統治体制の確立」と「大陸とのダイナミックな交流」にあります。
弥生時代の「村(ムラ)」や「小国(クニ)」の連合体から、一つの強大な中央政権(大王家)を中心とした国家へと歩み始めた、エネルギッシュな時代の4つの大きな特徴を見ていきましょう。

1. 「前方後円墳」は政権への加盟証だった

古墳時代、日本列島の広い範囲で「前方後円墳」という同じ形のお墓が造られました。これは単なる流行ではなく、極めて政治的な意味を持っていました。

規格の統一:
近畿地方(大和)の大王と同じ形のお墓を造ることは、「私はヤマト政権の仲間です」という同盟や服属の証(あかし)でした。

権力のランク付け:
墳丘の大きさは、その豪族が政権内で持っていたランクや力の強さを視覚的に示していました。

2. 「空白の4世紀」と外交・軍事の活発化

日本の歴史書には記述が少ない4世紀ですが、朝鮮半島の広開土王碑(こうかいどおうひ)などの史料から、ヤマト政権が積極的に海外へ進出していたことが分かっています。

朝鮮半島への出兵:
鉄資源を確保するため、百済(くだら)や伽耶(かや)と結び、高句麗(こうくり)や新羅(しらぎ)と激しい戦いを繰り広げました。

倭の五王:
5世紀には、「讃・珍・済・興・武」と呼ばれる5人の王が、当時の中国(宋など)へ使いを送り、国際的な地位を認めさせようとしました。

3. 社会を支えた統治システム「氏姓(しせい)制度」

ヤマト政権は、有力な豪族たちを効率よく管理するために、血縁や地縁に基づく組織作りを行いました。

氏(うじ):
「蘇我(そが)」「物部(ものべ)」といった、血縁関係をベースにしたグループ。

姓(かばね):
政権内での地位や役割を示すランク(臣・連・君・直など)。

部民(べみん)制:
職業ごとに専門技能(機織り、鉄作り、養蚕など)を持つ集団を組織し、政権の経済基盤としました。

4. 渡来人がもたらした「古代のイノベーション」

朝鮮半島からの移住者である「渡来人(とらいじん)」たちが、日本に劇的な技術革新をもたらしました。

最新技術:
鉄製武器の量産、大規模な灌漑(かんがい)工事、機織りなどの高度な手工業。

漢字と儒教・仏教:
文字(漢字)や思想(儒教)、そして6世紀には仏教が伝わり、日本人の精神文化や政治のあり方を根本から変えていきました。

須恵器(すえき):
高温で焼く硬くて青灰色の土器が登場し、生活習慣も大きく変化しました。

古墳時代の環境!:大地の形を変えた「大土木時代」の到来

古墳時代の環境

古墳時代の環境

古墳時代は、日本列島の自然環境が人間の手によって劇的に作り変えられ始めた時代です。
弥生時代までの「自然に近い暮らし」から、大規模な治水や開墾によって「豊かな国土」をデザインするステージへと進化した背景を見ていきましょう。

1. 「大土木時代」の幕開け:平野部の開発

古墳時代を語る上で欠かせないのが、湿地帯だった平野部の開発です。

大規模な灌漑(かんがい):
渡来人がもたらした最新の土木技術により、川の流れを制御し、大規模な用水路(溝)を掘ることが可能になりました。

溜池(ためいけ)の築造:
水不足を解消するため、大阪の狭山池(さやまいけ)に代表されるような巨大な溜池が次々と造られました。これにより、これまで稲作が難しかった乾燥地や高台でもお米が作れるようになりました。

2. 気候と植生:豊かな森と海

当時の日本列島は、現在よりも森林が深く、自然の恵みが溢れていました。

温暖な気候:
古墳時代を通じて、気候は比較的温暖で安定していました。これにより稲作の生産性が向上し、巨大な古墳を造るための余剰エネルギー(食料と人手)が生まれました。

多様な植生:
里山には、建築資材や燃料となる広葉樹(ナラ、クヌギなど)や針葉樹(ヒノキ、スギなど)が豊富に自生し、生活を支えていました。

3. 立地の変化:丘の上から平地へ

人々の住む場所や古墳を造る場所も、時代とともに環境に合わせて変化しました。

前期:
自然の山や丘の稜線を利用して、遠くからでも目立つ高い場所に古墳が築かれました。

中期以降:
土木技術の向上により、大阪平野のような広大な平地に、巨大な盛り土をして古墳を造るようになりました。

集落の移動:
争いが絶えなかった弥生時代の「環濠集落(かんごうしゅうらく)」から、より生産性の高い平野部へと住居エリアが広がっていきました。

4. 自然の脅威:火山の噴火と地形の変化

この時代、人々は自然の猛威にも直面していました。

火山の噴火:
群馬県の榛名山(はるなさん)の噴火(6世紀)などは、当時の環境を激変させました。火山灰に埋もれた遺跡(黒井峯遺跡など)からは、一瞬にして時を止めた当時の村の様子が、まるで「日本のポンペイ」のように保存されています。

古墳時代の文化:祈りと権威を彩る「古代の美学」

古墳時代の文化

古墳時代の文化

古墳時代の文化は、大王や豪族たちが自らの権威を誇示するための「見せる文化」であり、同時に死後の世界を信じた「祈りの文化」でもあります。時期によって、その性格が大きく変化していくのが最大の見どころです。

1. 変化する「古墳の形」と「埋葬のスタイル」

古墳の形や内部構造の変化は、当時の政治体制や家族観の移り変わりを色濃く映し出しています。

墳形の多様性:
最も格式高い「前方後円墳」をはじめ、円墳、方墳、そして終末期には天皇に特有の「八角墳」など、身分に応じたルールがありました。

竪穴式から横穴式へ:
前期・中期(竪穴式石室): 天井から棺を下ろして密封する構造で、一人の実力者のための「個人葬」が中心でした。

後期(横穴式石室):
朝鮮半島から伝わった、横にドアー(羨道)がある構造です。これにより、家族を追葬(追加で埋葬)することが可能になり、お墓の性格が「一族の絆」へと変わりました。

2. 副葬品が語る「司祭から武人へ」の転換

お墓に一緒に埋められた「副葬品」をたどると、リーダーに求められる素質が変わっていく様子がわかります。

前期(司祭者的):
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)などの鏡や、勾玉(まがたま)・管玉といった呪術的なアイテムが中心。宗教的なパワーが王の源でした。

中期(武人的):
鉄製の剣、甲冑(かっちゅう)、そして最新のステータスシンボルであった馬具が急増。武力や軍事力が王の証となりました。

後期(生活的):
豪華な耳飾りや冠に加え、日用品である土器などが多く見られるようになります。

3. 古墳の守護者「埴輪(はにわ)」の世界

古墳の表面に並べられた埴輪は、単なる飾りではなく、聖域を守るための重要な役割を持っていました。

円筒埴輪:
古墳の周囲を囲む垣根のような役割。

形象埴輪:
家、盾、衣蓋(きぬがさ)などの道具から始まり、5世紀以降は人間や動物(犬、鳥、馬など)が登場。当時の儀式の様子を再現する「空間デザイン」としての側面を持っていました。

4. 土器のイノベーション「土師器(はじき)」と「須恵器(すえき)」

古墳時代には、全く性質の異なる2つの土器が共存していました。

土師器:
弥生土器の流れをくむ、赤褐色の「素焼き」の土器。主に煮炊きに使われました。

須恵器:
5世紀に渡来人がもたらした技術で、窯(かま)を使い高温で焼いた「硬くて青灰色」の土器。水漏れしにくく、酒や食べ物の貯蔵に革命を起こしました。

5. 文字・思想・宗教の到来

文化の深層部分でも、大陸との交流が日本人の精神をアップデートしていきました。

文字(漢字)の普及:
稲荷山古墳の鉄剣銘などに刻まれた文字から、5世紀には記録手段として漢字が使われていたことが証明されています。

儒教と仏教の伝来:
6世紀、百済の聖明王から仏像や経典が贈られました(仏教公伝)。これにより、それまでのアニミズム(自然崇拝)に、「仏」という新しい信仰が加わり、飛鳥時代の華やかな仏教文化へと繋がっていきます。

古墳時代の人々の暮らし!:格差の拡大と「古代の生活革命」

古墳時代の人々の暮らし!

古墳時代の人々の暮らし!

古墳時代に入ると、王や豪族といった「支配者」と、農業を営む「民衆」の力の差が、住まいや衣服、食べ物にはっきりと現れるようになります。一方で、大陸からの新技術によって、私たちの現代の暮らしにも通じる「ある大発明」が普及した時代でもありました。

1. 住まいの格差:豪族の「館」と民衆の「かまど」

弥生時代までは村全体を溝で囲んでいましたが、古墳時代には「守るべき対象」が変化します。

豪族の居館(きょかん):
有力な豪族は、村から離れた場所に、周囲を柵や溝(環濠)で囲んだ豪華な「館」を構えました。群馬県の三ツ寺Ⅰ遺跡からは、儀式を行う広場や倉庫を備えた巨大な居館跡が見つかっています。

民衆の住居:
一般の人々は、引き続き竪穴式住居に住んでいました。しかし、5世紀頃に劇的な変化が起きます。

生活革命「かまど」の登場:
朝鮮半島から、住居の壁際に作り付けの竈(かまど)が伝わりました。これまでの住居中央の「いろり」に比べ、煙がこもらず、効率よく煮炊きができるようになり、生活の質が飛躍的に向上しました。

2. 古墳時代のファッション:はにわは「古代のカタログ」

当時の服装は、発掘された「形象埴輪」から詳しく知ることができます。

男性のスタイル:
上半身には「衣(きぬ)」を、下半身にはズボン状の「袴(はかま)」を着用。膝のあたりを紐で結ぶのが当時のトレンドでした。髪型は耳の横で束ねる「結髪(みずら)」が特徴です。

女性のスタイル:
上半身は同じく「衣(きぬ)」、下半身にはロングスカートのような「裳(も)」を重ねていました。

アクセサリー:
支配者層は、金や銀、ガラスで作られたきらびやかな耳飾り、首飾り(勾玉・管玉)、冠を身につけ、権威をアピールしました。

3. 食生活:最新土器でお米を「蒸す」

稲作がさらに発展し、食卓もより豊かになりました。

主食と副食:
米以外にも、麦、粟(あわ)、稗(ひえ)、大豆などの雑穀が広く食べられていました。魚や貝、シカやイノシシの肉も貴重なタンパク源でした。

「甑(こしき)」による調理:
須恵器の技術とともに、蒸し器である「甑(こしき)」が登場しました。これにより、お米を「炊く」だけでなく「蒸す(おこわの状態)」という調理法が一般的になりました。

調味料:
塩のほか、魚を塩漬けにして発酵させた「魚醤(ぎょしょう)」のようなものが使われていたと考えられています。

4. 専門職集団「部民(べみん)制」と不思議な風習

人々の仕事や信仰も組織化されていきました。

プロ集団の誕生:
機織り(錦織部)、鉄作り(韓鍛冶部)、土器作り(陶作部)など、専門的な技能を持つ人々を「部(べ)」として組織し、ヤマト政権を支えました。

祈りと占い:
自然の神々への信仰(原始神道)が深く、鹿の骨を焼いて吉凶を占う「太占(ふとまに)」や、熱湯に手を入れて正邪を判断する「盟神探湯(くかたち)」といった、現代では信じられないような不思議な風習も行われていました。

古墳時代のポイント!:これだけは抑えたい「5つの鍵」

古墳時代のポイント!

古墳時代のポイント!

古墳時代を読み解くには、お墓の形、政治の仕組み、そして海外とのつながりという3つの視点が不可欠です。複雑に見えるこの時代の本質を、博士が5つのポイントに凝縮して解説します。

1. 前方後円墳の広がり = 「ヤマト政権」の勢力圏

なぜ日本全国(東北から九州まで)に、同じ「鍵穴型」のお墓が造られたのでしょうか?

政治的なネットワーク:
前方後円墳を造ることは、近畿の有力者(ヤマト政権)のグループに加わったという「同盟の証」でした。

規格の統一:
政権のトップ(大王)が地方の豪族に対し、「この形のお墓を造って良い」という許可を与えることで、支配を強めていったのです。

2. 「大王(おおきみ)」の出現と権力の巨大化

弥生時代の「王」から、古墳時代の「大王」へ。リーダーの性格がより強力なものへと進化しました。

権威の象徴:
5世紀の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に見られるように、ピラミッドにも匹敵する巨大土木工事を可能にするほど、大王の権力は圧倒的なものになりました。

称号の変化:
当時は「天皇」ではなく「大王」と呼ばれていました。これがのちの天皇制のルーツとなります。

3. 「空白の4世紀」と朝鮮半島進出の目的

日本の記録が乏しい4世紀、ヤマト政権は海を渡っていました。その最大の目的は「鉄」です。

鉄資源の確保:
当時の日本列島では良質な鉄が採れなかったため、朝鮮半島南部の伽耶(かや/任那)地方と結びつき、武器や農具の材料となる鉄を確保しようとしました。

広開土王碑(こうかいどおうひ):
4世紀末の倭国(日本)が朝鮮半島へ出兵し、高句麗と激しく戦ったことが、現在の中国にある石碑に刻まれています。

4. 支配のシステム「氏姓(しせい)制度」の確立

ヤマト政権は、増え続ける豪族たちをランク付けして管理しました。

氏(うじ):
蘇我、物部などの血縁グループ。

姓(かばね):
臣(おみ)、連(むらじ)などの役職や地位を示すランク。

中央集権への一歩:
このシステムによって、バラバラだった豪族が「国家の公務員」のような存在へと組み込まれていきました。

5. 渡来人と「最新テクノロジー」の導入

朝鮮半島から移住してきた渡来人(とらいじん)は、当時の日本にとって「歩く百科事典」でした。

生活・軍事の革新:
鉄の量産、機織り、乗馬の習慣、そして漢字(文字)の普及。

須恵器(すえき):
それまでの赤褐色の土器とは一線を画す、硬くて丈夫なグレーの土器は、貯蔵や調理に革命をもたらしました。

古墳時代のディープな領域 :研究者が注目する「古代の真実」

古墳時代のディープな領域

古墳時代のディープな領域

教科書の行間に隠された、古墳時代のよりリアルでディープな姿に迫ります。近年の発掘調査や科学的分析によって、当時の人々の意外な実態が明らかになってきました。

1. 骨格が語る「格差」:支配者層は高身長で小顔だった?

古墳から出土する人骨を分析すると、当時の「身分差」が身体的特徴にまで現れていたことが分かっています。

身長の差:
大型古墳に葬られた被葬者は、当時の平均を大きく上回る170cm近い高身長の例が珍しくありません 。一方、一般的な横穴墓の埋葬者は平均158cm程度でした 。

顔立ちの変化:
支配者層は柔らかい食べ物を中心とした贅沢な食生活を送っていたため、顎(あご)が細くなり、現代人に近い「小顔」で、噛み合わせも「鋏状(はさみじょう)」に変化していました 。

親知らずの消失:
顎の退化に伴い、第3臼歯(親知らず)が生えない個体の割合が支配者層で高くなっていたことも確認されています 。

2. 「日本のポンペイ」:榛名山噴火が閉じ込めた6世紀の村

群馬県の黒井峯(くろいみね)遺跡は、考古学ファンの間で「日本のポンペイ」と呼ばれています。

一瞬で埋まった村:
6世紀、榛名山の噴火による大量の火山灰が、当時の集落を丸ごと飲み込みました 。

リアルな生活跡:
通常、竪穴住居は長い年月で形が崩れますが、ここでは火山灰が重しとなったため、住居の壁、屋根の構造、さらには畑の畝(うね)の跡までもが生々しく保存されており、当時の農村風景を完璧に再現できる稀有な遺跡です 。

3. 未曾有の発見!富雄丸山古墳の「盾形銅鏡」と「巨大蛇行剣」

2023年、奈良市の富雄丸山(とみおまるやま)古墳で、これまでの常識を覆す世界的な発見がありました。

世界最大の蛇行剣:
全長約2.3メートルに及ぶ、波打った刃を持つ「蛇行剣(だこうけん)」が出土 。実戦用ではなく、魔を払うための呪術的な剣と考えられています。

前代未聞の盾形銅鏡:
鏡といえば円形が常識でしたが、ここでは「盾の形」をした巨大な銅鏡(鼉龍鏡:だりゅうきょう)が見つかりました 。これらは「空白の4世紀」におけるヤマト政権の高度な工芸技術と精神世界を象徴する、まさに国宝級の発見です。

4. 地域を繋ぐ「水銀朱(しゅ)」と阿波・宇陀のネットワーク

古墳の石室内を赤く染める「朱(水銀朱)」は、当時の最高級品であり、聖なる力を持つとされました。

阿波(徳島)と宇陀(奈良)の絆:
徳島県の美馬地方には、独特なドーム型の石室を持つ「段の塚穴(だんのつかあな)」がありますが、ここには奈良県宇陀地方との強い繋がりが指摘されています 。

資源の独占:
水銀資源を持つ地域とヤマト政権の中枢が深く結びついていたことが、特殊な石室の形や「青石」の流通ルートから読み取れます 。

参考文献・史料
  • 『歴史古代豆知識』1・「古墳時代」 古墳時代(こふんじだい)は、日本列島において古墳、特に前方後円墳が築造された時代(史跡探訪と歴史の憧憬)
  • 古墳時代の用語整理~先史時代連載第四弾~(武田塾 日本史B)
  • 古代日本「空白の四世紀」の謎に迫る、前代未聞の出土品(NHK出版デジタルマガジン)
  • 阿波の奥地(美馬郡)と宇陀| 古墳時代史解題

古墳時代!その時世界では:東アジアの動乱と「倭国」の外交戦略

日本の古墳時代(3世紀半ば〜7世紀初め)は、世界的に見ても「大移動と帝国再編の時代」でした。特に東アジアでは、巨大な中国王朝が分裂し、朝鮮半島では三国が激しく火花を散らしていました。ヤマト政権がなぜ巨大な古墳を造り、海を渡ったのか、その答えは当時の「世界情勢」の中にあります。

1. 中国:三国志の終わりから「南北朝時代」へ

日本で古墳が造られ始めた頃、中国では「魏・呉・蜀」の三国時代が終焉を迎え、混乱の極致にありました。

王朝の交代:
魏を継いだ「西晋」が一時統一しますが、北方民族の侵入により再び分裂。南に漢民族の王朝、北に北方民族の王朝が並び立つ「南北朝時代」へと突入します。

倭国の外交:
5世紀、ヤマト政権の王たちは、南朝の「宋」へ次々と使者を送りました。これが有名な「倭の五王(讃・珍・済・興・武)」です。彼らは中国皇帝から「安東大将軍」といった称号をもらうことで、国際的な地位を高め、朝鮮半島での軍事的優位を認めさせようとしました。

2. 朝鮮半島:高句麗・百済・新羅の三つ巴

当時の朝鮮半島は、北の強大国「高句麗(こうくり)」、西の「百済(くだら)」、東の「新羅(しらぎ)」が覇権を争っていました。

高句麗の南下:
4世紀後半、広開土王(好太王)率いる高句麗が南下を開始。これに対し、ヤマト政権は鉄資源の確保と政治的安定のため、百済や南部の「伽耶(かや/任那)」と結びつき、軍隊を派遣しました。

広開土王碑の記録:
現在の中国吉林省にある石碑には、391年に「倭が海を渡り、百済や新羅を破って臣民とした」という趣旨の記録が刻まれており、当時の激しい軍事衝突を物語っています。

3. ユーラシア大陸の激動:西ではゲルマン人が大移動

日本が巨大古墳を築いていた頃、ユーラシア大陸の反対側でも歴史の転換点が訪れていました。

西ローマ帝国の滅亡:
4世紀後半、フン族の圧迫によりゲルマン人が大移動を開始し、476年に西ローマ帝国が滅亡しました。欧州が中世へと向かうこの動きは、図らずも東アジアの北方民族の動向とも遠く繋がっています。

仏教の隆盛:
インドではグプタ朝が栄え、仏教美術が花開きました。この流れがシルクロードを通り、中国、朝鮮半島を経て、6世紀には日本へ「仏教伝来」として届くことになります。

4. 交流がもたらした「国際都市・日本」

海外との交流は、物資だけでなく「人」の移動も伴いました。

渡来人の役割:
戦乱を逃れて朝鮮半島からやってきた渡来人たちは、最新の鉄器生産、灌漑技術、機織り、そして文字(漢字)や儒教をもたらしました。

国際的な文化融合:
古墳から出土するペルシャ(ササン朝)由来のガラス器などは、当時のヤマト政権が、東アジアの枠を超えた広大な東西交易ルートの末端に位置していたことを証明しています。

古墳時代!その時世界では:東アジアの動乱と「倭国」の外交戦略

日本の古墳時代(3世紀半ば〜7世紀初め)は、世界的に見ても「大移動と帝国再編の時代」でした。
特に東アジアでは、巨大な中国王朝が分裂し、朝鮮半島では三国が激しく火花を散らしていました。ヤマト政権がなぜ巨大な古墳を造り、海を渡ったのか、その答えは当時の「世界情勢」の中にあります。

1. 中国:三国志の終わりから「南北朝時代」へ

日本で古墳が造られ始めた頃、中国では「魏・呉・蜀」の三国時代が終焉を迎え、混乱の極致にありました。

王朝の交代:
魏を継いだ「西晋」が一時統一しますが、北方民族の侵入により再び分裂。南に漢民族の王朝、北に北方民族の王朝が並び立つ「南北朝時代」へと突入します。

倭国の外交:
5世紀、ヤマト政権の王たちは、南朝の「宋」へ次々と使者を送りました。これが有名な「倭の五王(讃・珍・済・興・武)」です。彼らは中国皇帝から「安東大将軍」といった称号をもらうことで、国際的な地位を高め、朝鮮半島での軍事的優位を認めさせようとしました。

2. 朝鮮半島:高句麗・百済・新羅の三つ巴

当時の朝鮮半島は、北の強大国「高句麗(こうくり)」、西の「百済(くだら)」、東の「新羅(しらぎ)」が覇権を争っていました。

高句麗の南下:
4世紀後半、広開土王(好太王)率いる高句麗が南下を開始。これに対し、ヤマト政権は鉄資源の確保と政治的安定のため、百済や南部の「伽耶(かや/任那)」と結びつき、軍隊を派遣しました。

広開土王碑の記録:
現在の中国吉林省にある石碑には、391年に「倭が海を渡り、百済や新羅を破って臣民とした」という趣旨の記録が刻まれており、当時の激しい軍事衝突を物語っています。

3. ユーラシア大陸の激動:西ではゲルマン人が大移動

日本が巨大古墳を築いていた頃、ユーラシア大陸の反対側でも歴史の転換点が訪れていました。

西ローマ帝国の滅亡:
4世紀後半、フン族の圧迫によりゲルマン人が大移動を開始し、476年に西ローマ帝国が滅亡しました。欧州が中世へと向かうこの動きは、図らずも東アジアの北方民族の動向とも遠く繋がっています。

仏教の隆盛:
インドではグプタ朝が栄え、仏教美術が花開きました。この流れがシルクロードを通り、中国、朝鮮半島を経て、6世紀には日本へ「仏教伝来」として届くことになります。

4. 交流がもたらした「国際都市・日本」

海外との交流は、物資だけでなく「人」の移動も伴いました。

渡来人の役割:
戦乱を逃れて朝鮮半島からやってきた渡来人たちは、最新の鉄器生産、灌漑技術、機織り、そして文字(漢字)や儒教をもたらしました。

国際的な文化融合:
古墳から出土するペルシャ(ササン朝)由来のガラス器などは、当時のヤマト政権が、東アジアの枠を超えた広大な東西交易ルートの末端に位置していたことを証明しています。

古墳時代の謎:1600年の眠りが隠す「古代のミステリー」

古墳時代は、巨大な建造物が数多く残されているにもかかわらず、文字による記録が極端に少ないため、日本史上最も「謎」が多い時代の一つです。考古学の最新成果をもってしても解明されていない、日本古代史のロマンあふれる5つの謎をご紹介します。

1. 卑弥呼の墓はどこに?「邪馬台国」と「箸墓古墳」の謎

弥生時代の女王・卑弥呼が治めた「邪馬台国」がその後どうなったのかは、日本史上最大のミステリーです。

墓(はしはか)古墳の正体:
古墳時代最初期の巨大古墳である奈良県の箸墓古墳は、築造時期が卑弥呼の没年(248年頃)と重なることから、「これこそが卑弥呼の墓ではないか」という説が有力視されています。

謎のポイント:
もし箸墓古墳が卑弥呼の墓であれば、邪馬台国がそのままヤマト政権へと繋がったことになりますが、宮内庁が調査を厳しく制限しているため、決定的な証拠は見つかっていません。

2. 世界最大級の墓「大仙陵古墳」:本当に仁徳天皇の墓なのか?

ピラミッドや始皇帝陵と並び、世界三大墳墓に数えられる大仙陵(だいせんりょう)古墳。

被葬者の不一致:
現在は「仁徳天皇陵」として管理されていますが、出土した埴輪の形式などは5世紀後半のものであり、『日本書紀』に記された仁徳天皇の年代とは約100年のズレがあるという指摘があります。

謎のポイント:
「これほど巨大な墓を造らせた真の権力者は誰なのか?」という問いに対し、考古学的なデータと伝統的な伝承の間には、いまだに大きな溝があります。

3. 歴史から消えた150年間「空白の4世紀」

中国の歴史書には、3世紀後半(266年)から5世紀初頭(413年)まで、日本(倭国)に関する記述がパタリと途絶えます。

急激な進化:
この150年間の間に、日本列島ではバラバラだったクニが統合され、巨大なヤマト政権が誕生し、朝鮮半島に軍を送るまでの強国へと成長していました。

謎のポイント:
文字の記録がないこの間に、一体どのような政争やドラマがあったのか。古墳から出る遺物だけが、沈黙を守る歴史の断片を語っています。

4. なぜ「鍵穴」の形?前方後円墳の起源と意味

世界でも類を見ない、円と四角を組み合わせた「前方後円墳」の形。

有力な説:
太陽崇拝説: 三輪山から昇る太陽を拝む儀式の場を形どったもの。

盾の形説:
亡くなった王を外部の魔物から守るための巨大な盾を模したもの。

融合説:
円形の墳墓(西日本)と方形の祭壇(東日本)の文化が融合したもの。

謎のポイント:
5世紀を境に、なぜあれほど爆発的に全国へ広まり、そして7世紀に突如として消えてしまったのか、その思想的な理由は謎に包まれています。

5. 最新の衝撃:富雄丸山古墳の「巨大蛇行剣」の目的

2023年に発見された、全長2.3メートルもの蛇行剣と盾形銅鏡。

ありえないサイズ:
人間が振り回すには大きすぎ、重すぎるこの剣は、実戦用ではなく「魔を払う儀式用」と考えられています。

謎のポイント:
なぜこの時期(4世紀後半)に、これほどまでに特異で高度な技術を要する工品を造る必要があったのか。当時の王権が持っていた「呪術的な力」の強さを物語る最新の謎です。

古墳時代のまとめ:ヤマト王権が築いた「日本」の原型

古墳時代(3世紀半ば〜7世紀初め)の約350年間は、日本列島が「ムラ・クニの連合」から「中央集権国家」へと劇的な変貌を遂げた時代でした。その歩みを、時期ごとの変遷と社会の変化という2つの視点でまとめます。

古墳時代 350年の変遷:時代のうねりをたどる

古墳時代の約350年間を「前期」「中期」「後期」「終末期」の4つのフェーズで整理しました。

1. 前期(3世紀後半〜4世紀後半):ヤマト政権の誕生

古墳の特徴

  • 奈良盆地を中心に箸墓古墳などの巨大な前方後円墳が登場。
  • 内部構造は、天井から棺を納める「竪穴式石室」が主流。

政治・社会の動き

  • 近畿地方の有力豪族が連合し、ヤマト政権(ヤマト王権)が成立。
  • 王は宗教的な権威を持つ「司祭的」な性格が強かった。

外交・文化

  • 邪馬台国の文化を継承し、三角縁神獣鏡などの鏡や勾玉が宝物として重宝された。
  • 中国の歴史書から倭国の記述が消える「空白の4世紀」が始まる。
2. 中期(4世紀末〜5世紀末):巨大古墳と軍事の時代

墳の特徴

  • 大阪平野(百舌鳥・古市古墳群)に大仙陵古墳(仁徳陵)などの超巨大古墳が築かれる。
  • 王の権力を視覚的に見せつけるため、平地に巨大な盛り土をするスタイルへ。

政治・社会の動き

  • 大王(おおきみ)の権力がピークに達し、九州から関東までの支配権を確立。
  • 『宋書』倭国伝に記された「倭の五王」が活躍。

外交・文化

  • 鉄資源を求め、朝鮮半島南部の伽耶(任那)へ進出し、高句麗などと交戦。
  • 渡来人による「かまど」の導入や、硬質な土器「須恵器」の生産がスタート。
3. 後期(6世紀):社会の普及と統治の整備

古墳の特徴

  • 前方後円墳が小型化し、有力農民も墓を持つ「群集墳」が全国に普及。
  • 追葬(家族で同じ墓に入る)が可能な「横穴式石室」へと構造が変化。

政治・社会の動き

  • 氏姓制度が整い、豪族を「臣(おみ)」「連(むらじ)」などの役職で管理。
  • 九州で磐井の乱が勃発するが、これを鎮圧し中央集権化が加速。

外交・文化

  • 百済から仏教が公伝。漢字や儒教も本格的に普及。
  • 装飾古墳(石室内に絵が描かれた墓)が九州を中心に現れる。
4. 終末期(7世紀):古墳の終焉と律令国家へ

古墳の特徴

  • 権力の象徴が古墳から寺院へ移り、前方後円墳の築造が終了。
  • 大王墓は八角墳という特殊な形になり、やがて薄葬令により簡素化。

政治・社会の動き

  • 蘇我氏などの有力豪族が台頭。聖徳太子の改革や大化の改新を経て飛鳥時代へ。
  • 「大王」から「天皇」という称号への移行が準備される。

外交・文化

  • 遣隋使の派遣など、中国(隋・唐)の高度な律令制度を学び始める。
  • 仏教文化が花開き、日本独自の国家体制が完成していく。
古墳時代が日本史に残した「4つの功績」

国家意識の芽生え: 前方後円墳という「共通の規格」を全国に広めることで、初めて「日本」という一つの政治的まとまりが形成されました。

国際社会へのデビュー:
大陸の王朝に使いを送り、国際的な地位(称号)を得ることで、東アジア外交の一翼を担うようになりました。

技術と情報の革命:
渡来人がもたらした鉄器生産、須恵器、機織り、そして「文字(漢字)」の使用により、文明のレベルが飛躍的に向上しました。

信仰の変化:
自然崇拝(アニミズム)から、仏教という体系化された宗教の受容へ。日本人の精神構造がアップデートされました。

古墳時代の勉強のコツ:暗記を減らして「変化の法則」を掴む

古墳時代は、似たような名前の古墳や聞き慣れない役職名が多く、挫折しやすい単元です。しかし、バラバラの知識を繋げる「3つのコツ」を知るだけで、この時代は一気に面白くなります。

1. 「3つのセット」で時期の違いを攻略する

古墳の名前を一つずつ覚える前に、前期・中期・後期の「セットの変化」を頭に入れましょう。ここがテストで最も狙われるポイントです。

前期(司祭者):
「竪穴式石室」+「三角縁神獣鏡」+「箸墓古墳」

中期(武人):
「巨大化」+「鉄製武器・馬具」+「大仙陵古墳」

後期(生活者):
「横穴式石室(追葬)」+「群集墳」+「有力農民」

このように、「石室の構造・副葬品・代表的な古墳」をワンセットにして覚えるのが、混乱を防ぐ最大のコツです。

2. 朝鮮半島の地図と「鉄」をリンクさせる

外交の歴史は、暗記ではなく「理由」を理解しましょう。ヤマト政権がなぜ朝鮮半島へ出兵したのか、キーワードは「」です。

当時の日本(倭)では、質の良い鉄が採れなかった。

だから、鉄資源が豊富な伽耶(任那)を拠点にしたい。

そのために、北の強敵高句麗と戦い、西の百済と仲良くした。

その記録が、中国にある広開土王碑(好太王碑)に刻まれている。

この「資源確保のための外交」というストーリーで覚えると、朝鮮三国の名前(高句麗・新羅・百済)も忘れにくくなります。

3. 「氏姓制度」を現代の会社に置き換える

ややこしい「氏(うじ)」と「姓(かばね)」の関係は、現代の会社組織に例えると理解がスムーズです。

氏(グループ名):
名字のようなもの。例:蘇我氏、物部氏、中臣氏。

姓(役職・ランク):
社内での立場。

臣(おみ):
大和近辺の有力者。

連(むらじ):
特定の職能(軍事・祭祀など)を持つ実力者。

国造(くにのみやつこ):
地方支店長(地方の有力者)。

誰が一番偉いのか(大臣・大連)」という序列を意識すると、後の「蘇我氏 vs 物部氏」の対立もすんなり頭に入ってきます。

4. 「最新ニュース」をスパイスにする

古い教科書には載っていない富雄丸山古墳の「蛇行剣」や、最新のDNA解析による人々のルーツの話など、常に情報のアップデートを意識しましょう。
「歴史は常に書き換えられている」という視点を持つと、単なる暗記が「生きた発見」に変わります。

古墳時代から次の時代へ:巨大なお墓から「仏の教え」が導く飛鳥の都へ

西暦6世紀後半、日本列島は古墳時代の終焉と、新たな国家の形を模索する激動の時代を迎えます。権力の象徴は、土を高く盛った巨大な「古墳」から、最新の工法で建てられた「寺院」へと移り変わっていきました。その変化を決定づけた3つの大きな転換点を見ていきましょう。

1. 時代の分岐点:仏教をめぐる激突「崇仏(すうぶつ)論争」

6世紀半ばに百済から伝わった仏教は、当時の日本(倭国)の政治を二分する大きな火種となりました。

我氏(崇仏派):
「仏教という最新の知恵を取り入れ、国を近代化すべきだ!」と主張した新興勢力。

物部氏(廃仏派):
「古来の日本の神々を怒らせてはならない。外来の神(仏)など不要だ!」と主張した伝統的な軍事・祭祀豪族。

決着: 587年、丁未の乱(ていびのらん)で蘇我馬子が物部守屋を破ったことにより、仏教の受容と蘇我氏の主導権が確定しました。

2. ヤマト政権から「律令国家」へ:聖徳太子の改革

物部氏が去った後、蘇我氏と手を結んだのが、日本史上屈指の有名人・聖徳太子(厩戸王)と推古天皇です。

冠位十二階(603年):
家柄ではなく「能力」で役人を選ぶ制度。

十七条憲法(604年):
豪族たちに「和をもって貴しとなす」と説き、国家のルールを明確にしました。

遣隋使の派遣:
中国の先進的な政治制度を学ぶため、小野妹子らを派遣。これまでの朝貢外交から、対等な外交を目指す大きな一歩を踏み出しました。

3. 古墳の終焉:墓から寺へ、権力のデザインが変わる

仏教の普及は、日本人の死生観とステータスの示し方を根本から変えました。

前方後円墳の終焉:
6世紀末を境に、あれほど盛んだった前方後円墳の築造はパタリと止まります。これを「前方後円墳の終焉」と呼びます。

寺院が新時代のシンボルに:
豪族たちは巨大なお墓を造る代わりに、「氏寺(うじでら)」を建てるようになりました。日本最古の本格的寺院である飛鳥寺(法興寺)がその象徴です。

天皇墓の特殊化:
大王(天皇)の墓も前方後円墳をやめ、八角形の「八角墳」へと変化し、他の豪族とは格が違うことを示すようになりました。

4. 飛鳥時代へ:中央集権国家の完成へ

6世紀末、推古天皇が飛鳥(現在の奈良県明日香村周辺)に宮を置いたことで、時代は正式に「飛鳥時代」へと移り変わります。この後、中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)による大化の改新(645年)を経て、日本は天皇を中心とした強力な律令国家へと突き進んでいくことになります。

古墳時代の最終章:巨大な「鍵穴」が遺した、日本という国の土台

ここまで古墳時代について簡単に紹介してきました。最後に古墳時代についてまとめてみましょう。

西暦3世紀からおよそ350年以上にわたって続いた古墳時代。
それは、日本列島という島国が、初めて一つの「国家」としてまとまり、独自のアイデンティティを確立した濃密な時間でした。

最後に、この時代が日本史において果たした真の役割を振り返ってみましょう。

1. 「統一国家」への情熱:前方後円墳が繋いだ列島

古墳時代の最大の功績は、北は東北から南は九州まで、同じ「前方後円墳」という規格を共有したことにあります。これは、各地の豪族たちが「ヤマト」という一つの大きな秩序に加わることを選んだ証拠でした。

私たちが今日、当たり前のように「日本人」という意識を持ち、一つの国として歩んでいるその根源は、この時代の巨大な土木工事の中に刻まれているのです。

2. 「対話」と「革新」:海を越えた文明との遭遇

古墳時代は、決して閉ざされた時代ではありませんでした。

鉄器と技術:
農業や軍事を支えた鉄の普及。

活の知恵:
かまどでの調理や須恵器の器。

文字と言葉:
漢字という最強のコミュニケーションツールの受容。

これら渡来人がもたらした「古代のイノベーション」は、日本人の暮らしを根底から変え、洗練された「和の文化」の萌芽(ほうが)となりました。

3. 「祈り」の形が変わる時:古墳から寺院、そして心の深淵へ

7世紀、巨大な古墳の築造は幕を閉じます。権力者たちは、土の山を築く代わりに、壮麗な寺院を建て、仏の教えを政治の柱に据えました。
しかし、古墳に込められた「先祖を敬い、地域の守り神とする」という精神は、形を変えて神社や祭り、そして私たちの生活習慣の中に今も息づいています。

4. 歴史は「現在」と繋がっている

教科書の向こう側にある遠い過去のように思える古墳時代。しかし、大阪の街並みに溶け込む大仙陵古墳や、日本各地に今も残る約16万基もの古墳を訪れれば、当時の人々の息遣いが聞こえてくるはずです。

文字のない「空白の4世紀」を乗り越え、荒波を越えて新技術を求め、巨大な土木事業に汗を流した先人たちのエネルギー。その情熱があったからこそ、今の日本があります。

結びに:
古墳時代、完結。そして飛鳥の光へ
この連載を通して、古墳時代の魅力を多角的に掘り下げてきました。謎に満ちたこの時代を知ることは、自分たちのルーツを再発見する旅でもありました。

さあ、いよいよ時代は「飛鳥時代」へ。聖徳太子が描いた理想の国づくり、そして激動の律令国家誕生のドラマが、すぐそこで幕を開けようとしています。

日本史博士と共に、歴史の旅はまだまだ続きます。次なるステージでまたお会いしましょう!

古墳時代に関する気になる言葉!

  • 古墳
  • 前方後円墳
  • 埴輪
  • 衣褲(きぬはかま)姿
  • 衣裳(きぬも)姿
  • 高句麗
  • 百済
  • 新羅

▶︎ 次の時代:日本という国家の誕生!「飛鳥時代」の全貌を博士が徹底解説

▶︎ 前の時代:卑弥呼が登場!「弥生時代」の全貌を博士が徹底解説

日本史大好き

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